意氣込を以て書きまして、其の作られた歴史も進歩の觀念を持て居ます。唐の時に有名な通典といふ本がありますが、その通典を見ますと、通典の著者即ち唐の宰相の杜佑といふ人は世態の進歩を認めて居る。つまり社會がさういふ風な状態であつたから、歴史家もさういふ風な考が起つたのであらうと思ふ。それが宋以後になりますと引くりかへつて來る、何でも總て古代に復へる傾を持つて來ます。それを極く簡單に項目を擧げて申しますと、道徳といふものがだん/″\平民本位になつて來まして、天子の生活さへも平民道徳でこれを縛るやうになつて來ます。宋代の名臣殊に諫官などが天子に對して要求する道徳的生活は平民と同じやうな原則で要求して居る。それから趣味などもだん/″\復古的の傾を持つて來て居る。唐までは庭園を造るとか、樓閣を造るとかいふやうなことは、人工的の物を造ることが盛でありました。然るに宋の時になると、最も奢侈を極め、亂暴な贅澤をした天子は徽宗皇帝でありますが、其徽宗皇帝の趣味さへも、原始的な野趣を求むるやうになつた。都の中に大きな庭園といふよりも森林を造つて猛獸毒蛇を入れて、さうして天然と同じやうな景色を作つて生活を樂しま
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