何とかいふものをひどく謳歌しますが、併し實は民族の生活からいふと、民主々義といふやうな時は衰頽期であつて、その衰頽期といふことは又一種の特殊性を持つて居ります。人間一個人にしましても、子供の時には食物なども淡泊なものを要求します、それから自分がやる事柄でも簡單な事を要求しますが、中年の壯な時は濃厚な食物を食べたがつたり、複雜な仕事を喜ぶやうになります。老衰期になりますとそれがだん/″\又簡單な食物を要求し、若し單純なものを食べなかつたら中毒します。民族とか國家とかいふものもさういふものでありまして、それでだん/″\平民時代になりますと、人工を極度に進めた結果として、人工から天工と申しますか、天然に還る有樣になつて來ます。それは支那の歴史からいふと、唐までは人工的にだん/″\進んで來たと申して宜いでせう。朝鮮の樂浪などの發掘物を見ますと、漢の時に已に織物などがよく進みまして、それ以來唐あたりまでは、樣式が變化するだけで格別進歩するといふことはないかとも思ひますが、兎に角大體唐まではだん/″\向上して進んで行く時代であつたといふことが出來ます。さういふ時代には、歴史を書く人も幾らかさういふ
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