大量生産をするので、織物には反にすることの必要が出て來る、それが段子といふことの起源であります。その段子といふことが支那の織物の善いものといふ意味になりましたのは、善い織物を多量に生産して來た、大衆生活が向上して、織物の需要の多くなつて來て居ることを現して居る。さういふことで、自然に又特殊性のものが壓迫されまして、漢の時などのやうに、天子に御用だけの特別の必要の織物を造るといふことはなくなりまして、近代では織物生産の地方に官吏を派遣して、織物の生産地から官用の織物を拔取つて都に送ることになつて居りますので、詰り織物の大量生産の中から、朝廷でもそれを拔取るだけの話でありまして、天子が入用だけ、一寸いれば一寸、一尺いれば一尺造るといふ特殊性がなくなつて來た。これが平民生活の新しい樣式といつても宜いかと思ひます。
第二 として、民族生活の永續より來る結果。これが又一つの重要な事柄であります。先程も申しました如く、民族といふものが、幼少の時代から壯んな時代を經て、老衰した時代に、個人の如く來るものとしますれば、平民時代といふものは大體民族生活の衰頽期に近いて居る。我々が近來頻りに民主々義とか
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