いふことを信じて頻りにそれをやつたといふ。その人が言ふのには、官吏で以て善い官吏とか、惡い官吏とかいふやうなことは一時の事である、末代に殘る善い著述をすれば、官吏で惡いことをしたのも帳消しになると言つた。それが近代の支那人の官吏根性であります。
さういふ風で、實際政治に携はる官吏が既に官吏を以て終生の目的として居らぬ。それで官吏自身が政治といふものを重要のものと思つて居らぬ。其の外にも例がありますが、それだけでも近代の政治の重要性が減衰して居ることが分ります。
先づ此の二つが近代といふことの内容といつても宜いかと思ひます。
四
それでは愈々近代の生活要素といふものは、どういふものから出來て居るかといふことを申します。
第一 は平民時代の生活の新しい樣式の發生に就て申します。その平民時代の平民の生活新樣式の主なるものはどうかといふと、大衆に共通する生活であります。大衆に共通する生活をする爲に、天性のある者、特殊性のある者が壓迫されることが著しくなります。それが大衆の向上する所からだん/″\出て來るわけであります。これが平民時代の新しい樣式の出て來る所以であ
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