人が一生食ふことになつて、それから先何を要求するかといふと、學問とか文學とかで名を遺すことであります。古代より近代ほど官吏の作つた詩文集が非常に多い。漢の時代に名宦であつた人に詩文集などは殆んどないのでありますが、宋以後の人で苟くも有名な官吏をして居つた人に詩文集のない人は少ない。その中にはつまらない者もありますけれども、今日傳つて居る詩文集で、官吏をして居ない人の詩文集は至つて少ない。さういふことで、支那人は官吏をするが爲めに官吏をして居るのでなくて、それは生活を保證する丈けにして、餘暇を得て何か世に殘る著述をしようといふ、それが官吏の目的なのであります。それだから隨分惡官吏でありまして、むやみに租税に附けかけをしたり、懷を肥す者もありますが、それで立派な著述をしようといふ心掛の人がある。我々の尊敬して居る學者でありますが、王鳴盛といふ人が清朝の時代にありまして、その人は官吏をして居るときは餘程取り込みの盛んな人であつた。この人は何でも金を貯めなければならぬと考へて、金持の家に行くと、何か門口で物を取込む手つきをする。是は金持の氣といふものがあるので、それを自分に取込むと金が出來ると
前へ
次へ
全36ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング