、手際よくやつた者は大抵勝つに決つて居る。そこで此天照御魂も手際よくやらうと思ふのでありますが、私の學問では出來ませぬ。餘り手際よく行きますと却つてそこらぢう差合が出來ます。それで片つ端から一とわたり當つて見ますと、木島明神、是は何も大したことはありませぬ。是は從來の説では唯天日神命で高産靈の子であるといふことになつて居ります。栗田さんは天照御魂といふものを、全體今の天火明命と決めようといふことで此の説を採らずに火明命と決めたらしいのであります。併し又土地の傳説に依りますと矢張り是は天照大神を祀つたのだというて居る人もあるやうであります。それから其の次の大和の城上郡の他田坐天照御魂神、是は伴信友は志貴連の祖神天照饒速日命だとして居ります。其の次の鏡作坐天照御魂神社といふのが昔からの説では天火明命だといふ説があります。そして又饒速日命の末孫が鏡作氏になつて居るので、そこは栗田さんの説と違つて來まして、鏡作といふものが饒速日の末孫であるとすれば、それは栗田さんのやうに尾張氏と物部氏とをはつきり分けた説が少し怪しくなつて來ます。兎に角鏡作が之を祀つて居つたことがあるといふことになつて居ります
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