の外は皆天火明命を祀つて居るのだと片付けてしまつた。舊事本記に據りますと火明命の名は天照國照天火明命とあるので、總て之で片付けてしまつた。そして總て此の近畿地方に昔榮えて居つた氏の中の最も大きな氏は尾張氏であります。尾張國には天照御魂神社といふものはありませぬけれども眞墨田神社といふものは矢張り天火明命を祀つたのである。近畿地方の此の神社は皆尾張氏或は尾張氏と同じ系統の家の祖神であると決めてしまひました。栗田博士には色々發明の説があります。たとへば舊事記に尾張氏と物部氏の元祖の系圖のことが出て居りまして、古代のことを研究するに有益なものでありますが、それが色々混雜して居るといふことを栗田博士は考へられて、尾張氏と物部氏の系圖を引分けました。それが良いか惡いか疑問でありますが、巧く本の中で分けた。尾張氏といふのは天火明命の末孫、物部氏は饒速日命の末孫とした。舊事記の方はそれが一つになつてしまつて、尾張氏も物部氏も同じ神から出たことになつて居るのを、栗田さんは巧く分けて、天火明命の末孫は尾張氏、饒速日命の末孫は物部氏と分けた、非常な手際であります。上古史は手際さへよくやれば大抵の事は片付く
前へ
次へ
全40ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング