、三が即ち兵主、四、陰主、五、陽主、六、月主、七、日主、八、四時主。この兵主が根本の神であります。是がどうして日本へ來て兵主になつて居つたかといふことを考へて見たいと思ふ。和泉の國にも穴師といふ神社がありますが、神名帳には穴師の隣に兵主神社といふのが並べて書いて二つになつて居りますが、兎に角矢張り穴師と兵主は關係があつたことは和泉の國の神名帳でも分る。此の神社の元祖ともいふべき大和の穴師坐兵主神社の穴師といふ處に弓月嵩といふ處がある。此の弓月といふのを引張り出して來ようといふのであります。弓月といふのは日本で秦氏といふ大きな家柄がありますが、秦氏は秦の始皇の末孫だといつて居ります。應神仁徳の間に非常に澤山の人口、何十萬か知りませぬが、或る記録では百二十七縣の人口を連れて歸化したと言はれて居る。非常に大きな種族であります。其の秦の始皇の末孫といふものは向ふの記録には何もない事でありますが、始皇帝の十三世の後に孝武王といふ人がありまして、其の子に功滿王といふ人がありまして、其の又子が融通王といふ人であります。此融通王といふのは姓氏録では一に弓月王といつて居りまして、日本紀などでは弓月君と申
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