はないので、主なものは三體であつて、それが皆朝鮮の神だ、斯ういふことに仕末をしたいと思ふ。まア斯うすると信友より一段進めた積りでありますが、平野神社の神主さん達の考へて居るのよりも距離が遠くなつて、益々分り惡くなりますけれども、今の神主さん等ももう少し、少なくとも信友時代まで進歩して貰ひたいと思ふ。あの位の人より遙かに後戻りをするやうでは心細い。それで、一つこじ付けをやつて見たのであります。
もう一つ近畿地方にある神社で「兵主神社」といふものがあります。是は隨分昔から難物で皆持餘して居つたものであります。此の一番主なるものは大和國の城上郡にあります。城上郡に穴師坐兵主神社といふのと、も一つ穴師大兵主神社といふのがあります。これが一番主なものであらうと思ひます。其の外方々にあるといふことでありまして、信友の延喜式の神名帳の考證に據りますと、大分是が其處らぢうにある、近江國の野洲郡、同國伊香郡の兵主神社、播磨國の飾磨郡の射立兵主神社、「いだて」が付くことがあります。射立兵主神社といふものが播磨の廣峰といふ所にあつてそれが勸請されて來たのが京都の祇園社だといつて居ります。「いだて」といふの
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