りますから、關の字を肖古王へ持つて行かうといふのであります。尤も肖古王を近肖古王に對して古肖古王といつたとすれば、滿洲でも古《ふる》をフオと申しますから、古關は古肖古王だとして、一つの王として手數がかゝらぬ片付方をしてもよいのです。兎に角さういふやうに詰り今木神、久度神、古開神此の三つの神が皆朝鮮の王だ、斯ういふやうにしたい。是は伴信友の桓武天皇の皇太后の母方の家、即ち大枝氏の神樣を古開とした根據の無い説よりも、私の方が根據があると思ひます。先づ多少こじ付け得られることが出來れば根據がある。信友の方はこじ付けずに持て餘して居るから、持て餘さなかつただけは私の手柄だと思ひます。
 さういふことにして今の平野神社を片付けたいと思ひます。比※[#「口+羊」、第3水準1−15−1]神といふのは色々ひねくりますけれども、何れの古社でも祭神二三座の外に、多く姫神といふものがある。神を祀るには日本でも支那でも同じことで皆女が祀ることになつて居ります。後になつてから矢張り其女は祭神として必らず祀られることになる。それが比※[#「口+羊」、第3水準1−15−1]神であつて信友のやうに色々の説を付ける必要
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