幣社のことを書いてありますが、あれで見ますと平野神社に就て伴信友の研究したやうなことは、丸で書いてありませぬ。信友の研究した中で詰らない所の一部分五六行のものが載せてありますが、眼目とした事は殆ど何も述べてない。矢張り昔からの詰らない傳説を土臺として、何だか分らないやうになつて居ります。別にそれで差支があるといふ譯ではありませぬが、平野神社といふものは途中から色々變りまして、後になつて皇室が繁昌されなくなつた時代に大分衰へた。兎に角中古は神社といふものは保護者が無くなつたら往々自分の自營策を講じた。伊勢の大神宮でも其の時分に皇室の保護が無くなり、氏族の神社でも氏子が繁昌しなくなると自營策を講じた。其の爲に色々のことをやる。神社の自營策の結果として氏子を取込むことを考へる。平野の神社も八姓の神樣の合祀と言はれて、源氏もあれば平家もあり、何もかも皆取込んで、大凡京都に居る名族の人達は皆平野神社に詣らなければならぬやうに仕組んである。さういふことは自營策としてなか/\巧く考へたもので、さういふことを中古に神社はやりました。それで其の頃出來た八姓の神といふ説でありますが、今日ではどの位の程度で
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