ふものがあつて、神社に依つて其の記録のない時代の補ひを付けることが出來ますから、非常に國史を研究する上に於て便利であります。それを幾らかやり方を間違へると飛んだ間違つたやり方をしますものですから、其の研究は餘程微細な注意を致さなければならぬのでありますが、兎に角其の研究の方法さへ誤りがなかつたならば、古代のことは神社に於て餘程明らかになる。殊に近畿地方は昔から記録の無い時から非常に早く開け始めた地方でありますから、近畿地方に於ける神社の状態は二重にも三重にもなつて居りますから、近畿地方の神社を研究しますと日本の最も古い所が隨分分らうと思ひます。それが神社研究といふことの大體緒論みたやうなものであります。
 前に申しました如く私が神社のことに就て少しばかり本を讀んだ時に、神社を深く研究する積りでありませぬから文書を研究するとかいふ根本的の研究をしたのではありませぬ。人が研究したのを極く粗雜に讀んで見た位のことでありますが、人の研究したものを見た所の結果に依つて多少生じた疑問と申しますか、別に私は專門家ではありませぬから、そんなことを決着する必要はありませぬから決着して居りませぬが、色々そ
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