氏人が持つて居つたのを、それを寺が侵略したのであるといふことが分るやうなことであります。詰り神社研究といふことは、私は餘り國學をやりませぬから專門外でありますが、歴史の方から申しますと記録のない時代の變遷を説明するといふことになります。其の點は餘程役に立ちます。それで例へば口碑の研究をするとか、神社の分布、神社の來歴、さういふことを研究することは餘程上古の歴史を知る上に於て役に立つと思ひます。又日本のやうな神代からの神社が今日まで遺つて居つて、假令それが段々變つて大きなものが小さくなり、小さいものが大きくなつたとしても、兎に角それを亡ぼさない習慣がありまして、そしてそれが今日まで存在して居るのでありますから、言はゞ人間の歴史を以て開け始まるまでの古代の樣子が判ります。私共がやります支那の歴史などに於きましては、遺蹟が日本のやうに、古いもの新しいものとも揃つて存在して居るといふことが希れであり、歴史上に於ても記録は澤山ある國でありますけれども、上古の記録には確かなものがありませぬ。それでありますから殆ど古代の状態は分らなくなつて居りますが、日本は幸にして記録の時代は若いにしても、神社とい
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