自分の尊崇して居る神樣を持つて歩きました。平家は嚴島の辨財天を其處らぢう持つて歩く、源氏は八幡樣を擔ぎ廻る。或は在來の神社を八幡樣に變へた。平家は時代は大して長くありませぬから辨財天に化する事は餘り致しませぬけれども、源氏は其處らぢうに蔓りましたから皆他の神社を八幡樣に化して了つた。それから後の事は段々鎌倉に訴訟が起りまして、文書といふものが出來ました。文書といふものゝ多數は何時でも寺と武家の訴訟から出來まして、それが鎌倉頃から始まつて居るから、我邦の文書の多數は鎌倉頃から始まつて居ります。詰り寺と武家の喧嘩になりまして、其の頃から文書がありますから、寺領が武家に占領された時のことは明に分ります、又其の前のことは神社を占領した寺の記録も相當にありますから分りますが、神社が神社を占領した、詰り一つの氏が盛になつて居る處に、後の氏が侵略して行つた爲に、自分の氏神を持つて行つて前の氏神に代へるといふ侵略の時代は文書がありませぬ。殆ど歴史がありませぬ。今日になつては神社の存在に依つて幾らかそれが分る。加茂の隅の方に柊神社があつてそれが昔の地主の神社であつたとか、叡山にある小日枝が矢張り昔比叡の
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