かる為でありました」と限りなく喜んで受戒のお布施のつもりで、双紙箱を取り出して、法然の前に差置いて、
「御用になるような品ではありませんが、お眼近い処にお置き下さって、一つは重衡がかたみとも御思い出し給わり取りわけて回向《えこう》をお願いいたします」
 法然はその志に感じてそれを受けて立ち出でた。
 重衡によって焼かれた東大寺を造営の為め、大勧進の沙汰があったが、学徳名望共に法然上人の右に出ずる者が無いというような理由で、後白河法皇から、右大弁行隆朝臣をお使として、この度の大勧進職たるべき御内意があった時、法然は、
「山門の交衆《きょうしゅ》をのがれて林泉のうちに幽かに栖《す》んでいることは静かに仏道を修し、偏に仏道を行せんがためでございます。若《も》し勧進の職を承るならば、劇務万端のために修行念仏の本意に背くことになりますから、どうぞこの儀は御免を願い度うございます」
 とその辞意堅固なるを見て、行隆朝臣も何ともしようがなく、このことを奏上したところ、
「では門徒のうちに然るべき器量の者があらば申出るように」
 そこで醍醐の俊乗房重源を推挙して、大勧進の職に補せられた。重源はやがてそ
前へ 次へ
全150ページ中98ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング