ところなく、ついで往生をとげたということは信じ難い程不思議のことであった。自害往生、焼身往生、入水《じゅすい》往生、断食往生等はその門徒に於ても誡め置かれたことであり、余人の行うべき行ではないが、信心の力の奇特は思い見るべきである。
二十九
比叡山西塔の南谷に鐘下房少輔《しょうげぼうしょうゆう》という頭脳のよい僧侶があったが、弟子の稚子《ちご》に死なれて眼前の無常に驚き、三十六の年遁世して法然の弟子となり、成覚房幸西といったが、浄土の法門をもと習った天台宗に引き入れて、迹門《しゃくもん》の弥陀《みだ》、本門の弥陀ということを立てて、十劫正覚《じゅうこうしょうがく》というのは迹門の弥陀のこと、本門の弥陀は無始本覚《むしほんがく》の如来であるが故に、われ等が備うるところの仏性と全く違ったところはない。この謂《いわ》れをきく一念だけでよろしい。多念の数遍の念仏は甚《はなは》だ無益のことだといって自立して「一念義」というのを立てた。法然これを聞いて、これは善導和尚の心にも背いている。甚だよろしくないといって制しおさえたけれども聞かないで、尚この一念義を主張したから法然は幸西
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