を掛け、椅子に上って威儀少しも乱れなかったということである。

       二十七

 武蔵国の御家人、熊谷次郎直実《くまがいじろうなおざね》は平家追討には武勇の名かくれなかった人であるが、後、将軍頼朝を怨《うら》むことあって出家をとげ、蓮生と云うたが、まず聖覚法印の処へ行って、後生菩提のことを尋ねた処が、
「左様のことは法然上人にお尋ねなさい」
 といわれたので、法然の庵室へ出かけて行って、上人から、
「ただ念仏さえ申せば往生する。別の様はない」
 といわれたので、そこでさめざめと泣き出して了《しま》った。法然もあきれて、暫くは言葉も出なかったが、やがて、
「何事に泣きなさるのだ」
 と尋ねられたので、
 熊谷「貴様のような罪深い奴は手足をも切り、命をも捨ててこそ、後生は助かるのだ、とでも仰せられるのかと思って居りました処が、ただ念仏さえすれば救われると、易々《やすやす》と仰せられたので、あんまり嬉しくて泣いてしまいました」
 という言葉が如何にも真実に後生を恐れる殊勝者と見えたので、法然は懇《ねんご》ろに念仏往生、本願正意《ほんがんしょうい》の安心を授けた処二つなき専修の行者にな
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