を継いで法然に不審の事を小屋原蓮性という者を使者として尋ねて来た時も、法然は真観房に筆を執らせて返事を与えている。
「念仏はこれ弥陀の本願の行なるがゆえなり。本願と云うは。阿弥陀仏のいまだ仏にならせ給わざりし昔。法蔵菩薩《ほうぞうぼさつ》と申ししいにしえ。仏の国土をきよめ。衆生を成就《じょうじゅ》せんがために。世自在王如来《せじざいおうにょらい》と申す仏の御前にして。四十八願をおこし給いしその中に。一切衆生のために。一の願をおこし給えり。これを念仏往生の本願と申す也」
 この消息は細々と経説を挙げてかなり長いものになっているが、実秀は法然からこの消息を恭敬《くぎょう》頂戴して一向に念仏し、寛元四年往生の時矢張り奇瑞があったという。実秀の妻室も深くこの消息の教えを信受してよき往生の素懐を遂げたという。
 武蔵国《むさしのくに》那珂郡《なかごおり》の住人弥次郎入道(実名不詳)という人も上人の教化を蒙《こうむ》って一向念仏の行人となったが矢張り上人から手紙を貰って秘蔵していた。或時病気でなやんでいたが、夢に墨染の衣を着た坊さんが来て、青白二茎の蓮華をもって来て往生の時と極楽の下品《げぼん》か
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