のこと、ここには誰れも居らないで、お前とわしとただ二人きりいたことがある。その夜中わしはそっと起きていて念仏をしていたのをお前は聴かれたか」
 といわれたから、四郎は、
「いかにもそれは承りました。寐耳《ねみみ》によく覚えて今日まで不思議に思って居りました」
 法然「それこそやがて本当の往生の念仏だ。総て虚仮《こけ》といって飾る心で称える念仏では往生は出来ない。飾る心がなくして、真の心で申さねばならぬ。子供だとか動物だとか云うものの前では飾って見せる心はないけれども、世間並の人に向えばどうしても飾る心が起るものだ。誰れとて人間として人間の中に住んで居ればその心のない者はない。そこで夜更けてから見る人もなく、聴く人も無い時、そっと起きていて百遍でも千遍でも心任せに申した念仏は飾る心がないから仏の意にも相応して本当の往生が出来るというものだ。それでその心持さえ出来れば、何も夜と限ったものではない。いつでもその飾らぬ心で念仏を申すがよい。なお例えて云うて見ると、盗人が人の宝に思いをかけて盗もうと思う心は底に深いけれども表面はさり気なき色にして決して人にはあやしげなる色を見せまいとするようなも
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