のじゃ。その盗み心は人は誰れも知らないから少しも飾らない心になる。本当の往生もまあそんなようなものだ。人に見せないで仏より外には知る人もない念仏、そこで疑いのない往生が出来るわけだ」
それを聴いて四郎が、
「よくお言葉がわかりました。それを承って私もどうやら往生が出来そうでございます。ではこれから人の前で珠数を繰ったり、口を動かしたりして念仏をすることは止めましょうかしら」
というと法然がまた、
「それはまた僻《ひが》みというものだ。念仏というものの本意は常念でなければならぬ。強《し》いて性質をためて本来臆病の者が剛《ごう》の者の真似をするにも及ばない。剛の者がまた変に臆病がるにも及ばない。本性にうけて真の心で如何なる処、如何なる人の前で申すとも少しも飾る心がなければそれが真実心の念仏で、きっと往生が出来る」
といって三心《さんじん》の事を説いて聞かせると、四郎が、
「それではその夜中に念仏をいたします時には必ず起きていてしなければなりますまいか。また珠数や袈裟《けさ》などを用意して申さねばなりますまいか」
法然答えて、
「念仏の行は行住座臥《ぎょうじゅうざが》を嫌わないのだか
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