かに念仏をしているような様子であったから、この男が咳をして見た処、法然はやがて寝込んでしまわれた様子で、その夜も明けた。四郎はどうも解せないことだと思いながらも、尋ねて見るのも億劫《おっくう》でその日は帰り、その後また訪ねた時に法然は持仏堂にいて四郎は大床に伺候して云うことに、
「どうもやつがれのような無縁の者は都には居られないようですから、相模《さがみ》の国河村という処に知っている侍がありますから、それを頼んで下って見ようと思います。何分こう年をとりましてはまたと再びお目にかかる事も覚束ないと存じます。固《もと》よりこの通り無智のものでござりますから、深い法門を承ったとて、甲斐《かい》のないことと存じますから、ただこれならば往生が出来るという御一言だけを生涯の御かたみに戴いてまいり度うございます」法然がそれを聴いて答えていうに、
「まず念仏には深いということは無い。念仏を申すものは必ず往生が出来るということを知るばかりだ。深い義理があるなんぞと思ってはならぬ。それでも念仏というものは極くたやすい行いだから、申す人は多いけれども、往生が出来る者の少いのは古実を知らないからだ。そうだ先月
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