の時であったから、手紙で細々《こまごま》と書いてやった。その手紙が残っている。その中に「我等が往生はゆめゆめ我身のよきあしきにより候まじ。ひとえに仏の御力ばかりにて候べきなり」というようなことがある。その手紙の心のおもむきを深く心に留めてめでたき往生をとげたということである。
仁和寺《にんなじ》に住んでいた一人の尼が法然の処に来て申すよう、
「私は千部の法華経を読むように願をたてまして、七百部だけは読んでしまいましたが、もうこの年になっては残りを読みきれそうもござりません。なさけないことでござります」
と歎いたのを法然が慰めて、
「お年をとっているのによくそれでも七百まで読みましたね。ではその残りを一向念仏になさいまし」
といって念仏の効能を説き聞かせその通りにさせて安楽の往生をとげさせたことがある。法然のお弟子がその往生振りを夢に見たという奇談もあった。
二十
河内《かわち》の国に天野四郎《あまののしろう》と云うて強盗の張本があった。老年になってから法然のお弟子となって、教阿弥陀仏と名乗って常に法然の膝元で教えを受けていたが、或晩夜中に法然が起きていて、ひそ
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