た。おそばの者が、
「これは美作《みまさか》の国より出家修業の為に叡山に登るものでございます」と申上げた。摂政殿がそれを見て勢至丸に御礼儀があって、通り過ぎさせられたから、おそばの者が意外の思いをした。摂政殿が後に申されるには、
「今日路次で会った処の子わらべは眼から光りを放っている。如何にもただ者ではないことが分る。そこで礼をしたのじゃ」と云われた。
後に忠通公の息|月輪殿《つきのわどの》が上人に帰依《きえ》深かった因縁もこの物語と思い合わされるものがある。
三
勢至丸は都へ入ってから、まず叔父の観覚得業の手紙を持宝房へ遣《つか》わされると、源光房がその手紙を見て、
「ハテ文殊の像一体とあるが」と不審がると使者が「いえ、文殊菩薩の御像を持参致したわけではござりませぬ。お稚児《ちご》さんを一人連れてまいったのでございます」
そこで源光は早くも、この小児の聡明なることを察して迎えを遣わし、同じ月の十五日に叡山に登った。
叡山の持宝房についたから試みにまず四教義《しきょうぎ》を授けて見ると籤《せん》をさして質問をする。疑う処皆古来の学者たちの論議した処と同じである
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