。まことにただ人ではないと皆が申し合った。この子の器量が同輩に過ぎたる名誉を知って源光は「おれは魯鈍の浅才であるから、この子の教育の任に堪えぬ。然るべき碩学《せきがく》につけてこの宗の奥義を究めさせなければならぬ」といって久安三年四月の八日にこの子を引連れて功徳院肥後|阿闍梨《あじゃり》皇円の許《もと》に入室させた。
この皇円阿闍梨は、粟田関白四代後の三河権守重兼が嫡男であって、少納言資隆|朝臣《あそん》の長兄にあたり、椙生《すぐう》の皇覚|法橋《ほっきょう》の弟であって、当時の叡山の雄才と云われた人である。この皇円阿闍梨はこんど連れてこられた少年の聡敏なることを聞いて驚いて云う。
「さる夜の夢に満月が室に入ると見た。今この法器にあうべき前兆であったわい」
といって悦《よろこ》ばれた。
同じき年の十一月の八日、勢至丸は黒髪を剃《そ》り落し法衣を著し、戒壇院《かいだんいん》で大乗戒を承けた。
或時のこと師範の阿闍梨に向って申されるには、
「既に出家の本意《ほい》を遂げて了いました。今は山林の中へ遁れようと思います」
それを聞いて師の阿闍梨が云われるには、
「仮令《たとい》隠遁の
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