どののきたのまんどころ》も同じように法然を信じて念仏往生のことを尋ねられたが、法然がそれに答えた返事の手紙というのが残っている。
阿波介《あわのすけ》という陰陽師《おんようじ》が法然に給仕して念仏をしていたが、或時法然がこの男を指して、
「あの阿波介が申す念仏とこの源空が申す念仏と何れが勝っているか」と聖光房に尋ねられたところが、聖光房は心中に何か考うる処はあったけれども、
「それはどういたしまして、御上人の念仏と阿波介が念仏と一緒になりましょう」と答えたのでその時法然が由々しく気色が変って、
「お前は日頃浄土の法門といって何を聴いているのだ。あの阿波介も、仏たすけ給えと思って南無阿弥陀仏と申している。この源空も仏助け給えと思って南無阿弥陀仏と申している。更に差別はないのである」
といわれたから、聖光房も固《もと》より、それとは思っていたけれども、法然からそういわれて宗義の肝腎今更の様に胸に通ったということである。
二念珠《にねんじゅ》ということをやりだしたのはこの阿波介である。阿波介は百八の念珠を二連持って念仏をしたから人がその故を尋ねると阿波介が答えて、
「暇なく上下すればそ
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