生を遂げた。
上野国《こうずけのくに》の国府に明円という僧があったが遊行《ゆぎょう》の聖《ひじり》が念仏を申し通ったのを留めて置いて、自分の処へ道場を構え念仏を興行していたが、或夜の夢に、われはわが朝の大導師聖覚という者である。法然上人の教えによって極楽に往生したというようなことを夢見て、それからそれと尋ねて聖覚法印の墓に詣で、夢の中の感化を喜び感喜の涙を流し二心なき専修の行者になったという奇談がある。
十八
法然上人の「念仏本願撰択集」は月輪殿の請によって選んだものであるが、その要領を少々記して見ると、
まず第一段に道綽禅師《どうしゃくぜんじ》が聖道浄土の二門を樹てて、聖道門に帰するの文、一切衆生に皆仏性があるというのに今に至る迄生死に輪廻《りんね》して救われないのは、二種の勝法《しょうぼう》があるのに、それによって生死を払わないせいである。その二種の勝法とは何ぞ。聖道門と浄土門であるが、この二つの門のうち聖道門はなかなか修行がむずかしく、末世の凡夫はこの聖道の修行によって救われることは出来ない。それが浄土の門に行くと極めて安らかな修行によって救われる方便があ
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