とを不思議の縁としている。
 法然が天王寺に詣でた時、明遍僧都がここへ訪ねて案内があった。法然は客殿に待っていて「さあこれへ」といわれる。明遍僧都はさし入ってまだ居直らない先きに尋ねかけて云う。
 僧都「さてこの度|如何《いかが》いたして生死を離れたものでござりましょう」
 法然「南無阿弥陀仏と唱えて往生を遂ぐるに越したことはありますまい」
 僧都「たれも左様にお聞き申しては居りますが、ただその折角の念仏の時に心が散乱し、妄念の起るのを如何いたしたものでござりましょう」
 法然「欲界の散地《さんち》に生を受くる者、心の散乱しないということがござりましょうや。煩悩具足《ぼんのうぐそく》の凡夫の身がどうして妄念を止めることが出来ましょう。そのことに就ては私とても力の及ぶことではござりませぬ。ただ心は散り乱れ妄念は競い起るとも、口に名号を唱えなば弥陀の願力に乗じて必ず往生が致されるということだけを知って居ります」
 と返事した。
 僧都「それを承りたいがためにまいったのでござります」
 といって明遍僧都はそのまま罷《まか》り帰ってしまった。あたりの人がそれを見て、この両名僧初対面であるに拘ら
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