名世に許されていたけれども、名利を厭《いと》い、勅命を避けて高野に隠遁していたが、或時法然の撰択集を読んで、「この書物は少し偏《かたよ》っている処があるわい」と思って眠りについた。その晩の夢に、天王寺の西門に数知れざる病人が寐《ね》ていたのを一人の聖が鉢に粥《かゆ》を入れて匙《さじ》を持って病人の口毎に粥を入れてやっているのを見て、あれは誰人かしらんと尋ねると傍にいる人が答えて、「法然上人でございます」というのを見て夢が醒めた。僧都が思うのに、これはわしが撰択集を少し偏っているわいと思ったのを誡められる夢であろう。この上人は機を知り、時を知りたる聖である。抑《そもそ》も病人というものは初めには柑子《こうじ》とか、橘《たちばな》、梨子《なし》、柿などの類を食べるけれども、後には僅にお粥をもって命をつなぐようになる。末世の世には仏法の利益が次第に減じて堅いものは食われず、念仏三昧の重湯で生死を離れるのであると云うことを悟って、それからたちまち顕密の諸行を差置いて専修念仏の門に入りその名を空阿弥陀仏と名づけた。とりわけ聖徳太子にゆかりのある仏法最初の伽藍《がらん》天王寺によってこの夢を見たこ
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