は顕真座主のこの言葉を聞いて、
「人間というものは自分の知らないことには必ず疑心を起すものだ」
この言葉を又顕真座主に告げる者があった。そこで顕真が、「なる程そう云われて見ればそうだ。わしは今迄|顕密《けんみつ》の学問に稽古を努めたけれどもこれはまあ名利の為といってもよろしい。至心に浄土を志したということもないから道綽や善導の釈義も窺っているとはいえないのだ。法然房でなければこう云うことを云うてくれる者はない」と。それから百日の間大原に籠って浄土の書物を研究して後、さて自分は浄土の法門にも一通り通じたのである。もう一度お話をお聴きしたい。就ては自分一人で折角のお談義を聞くのも勿体ないから人を集めて見よう。
そこで大原の立禅寺《りゅうぜんじ》に法然上人を屈請《くっしょう》した。元の天台の座主顕真僧正は、この法門はわれ一人のみ聴聞すべきにあらずと云うて、諸方に触れをして南都北嶺の高僧達を招き集めることにした。文治二年秋の頃、顕真の請によって法然は大原へ出かけて行った。東大寺の大勧進俊乗坊重源が弟子三十余人をつれてそれに従った。顕真法師の方には門徒以下の碩学、ならびに大原の聖達《ひじりた
前へ
次へ
全150ページ中49ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング