おいでにならぬならば絶対にお籠りがよろしい。どうも九条殿だけへおいでになるのはよろしからぬように思われる」
 というようなことを考えて寝たところが、その夜の夢に法然が枕許に現われて、
「正行房、お前はわしが九条殿へまいることをよく思うていないようだな」といわれる。
 正行房が遽《あわ》てて、
「いいえどうして、そんなことを思いましょう」
 法然それを打ち消して、
「いや、お前はたしかにそう思っている。お前のそう思うのも一応道理はあるが、九条殿とわしとは先きの世からの因縁である。他の人とは比較にならない。この宿習《しゅくじゅう》あることを知らないで、謗る心などを起さば罪になるぞ」といわれると見て夢が醒めた。醒めて後このことを法然に語ると、法然は、
「その通り、月輪殿とわしとは先きの世から因縁のあることじゃ」と云われたそうである。
 こうして兼実は終に建仁二年(法然七十歳)正月二十八日月輪殿で出家を遂げ、法名を円証とつけ法然を和尚として円戒を受けることになった。

       十二

 大炊御門《おおいのみかど》左大臣(経宗)という人は月輪兼実とは違い、日頃から余り信仰のない人であったが
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