自分は斬罪に会い、師の法然を遠流《おんる》にするような事態を惹《ひ》き起した人物である。
兼実は上述の如く法然が来る毎に降《くだ》り迎えをされる。摂政関白が既にこの通りだから、その以下の公家殿上人の降り騒がれることは容易のものではない。法然はそれを煩《うる》さいことに思って九条殿下へ(月輪兼実)参らないように、草庵にとじ籠《こも》りということを名にして、九条殿をはじめ、何処へも出て歩くことをしなかった。それを兼実は頻りに歎いて、「それでは仮令《たとい》房籠りの折と雖もわしの身に異例でもあるような時には見舞いに来て下さるだろうな」
上人も左様な時には仔細に及ばないと申されたのを言質として、いつも病気とか、異例とかいって法然の処へ招請の使を寄せられる。法然も辞退し難くて月輪殿を訪ねる。それを門弟の正行房という者が心の中で思うよう、
「お上人も房籠りというて他所《よそ》へはおいでにならないで、九条殿へだけおいでになるということは、人によっては上人程のお方でも貴顕へは諂《へつら》っておいでになると謗《そし》る者がないとは限りません。おいでになるならば貴賤上下隔てなくおいでになるがよろしい。
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