の得業と称《よ》ばれていたが、これが勢至丸の母の弟であるから、勢至丸には叔父さんに当る。父の遺言もあることであるし、勢至丸はこの叔父さんの処へ行った。学問の性質がよくて、流るる水よりも速やかに、一を聞いて十を悟り、聞くところのこと忘れるということがない。
叔父の観覚は勢至丸の器量を見て如何《いか》にもただ人ではないと思ったから徒《いたず》らに辺鄙《へんぴ》の塵に埋めて置くには忍びない、早く当時学問の権威|比叡山《ひえいざん》に送って本格の修業をさせなければならぬと心仕度をしていた。勢至丸はこの趣きを聞いて、はや故郷に留まる心はなく早く都へ上りたいと憧れている。叔父の観覚はその心を喜んでこの子を連れて母の処に行って、このことを物語ると母は流石《さすが》に人情として、とみに返事も出来ないでいると勢至丸が云う。
「受け難き人身を受けて、会い難き仏教に会う。眼の前の無常を見て夢の中の栄耀《えいよう》を厭《いと》わねばなりません。とりわけて亡き父上の御遺言が耳の底に止まって心のうちに忘れられません。早く都の叡山に登って本当の仏法修業をいたしたいものでござります。母上がこうしておいでの程は御孝養
前へ
次へ
全150ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング