至丸は小さい矢をもって定明を射た。それが定明の眼の間に当った。定明はそのままこの所を逃げ延びて了った。
 父の時国は夜討ちの為に深い傷をうけて死に瀕《ひん》する時、勢至丸に向って云うことには、
 お前はこのことから会稽の恥をおもい敵人を怨むようなことがあってはならぬ。これというのも偏《ひとえ》に先きの世の宿業《しゅくごう》である。若し怨恨を結ぶ時にはそのあだ[#「あだ」に傍点]というものは幾世かけて尽きるということのないものだ。そこでお前は早く俗を遁《のが》れ、家を出でて我が菩提《ぼだい》をとむらい、自らの解脱《げだつ》を求めるがよい。
 といって端座して西に向い合掌念仏して眠るが如く息が絶えた。

       二

 一方勢至丸の父の仇定明は、ここを遁《に》げてから隠居して罪を悔い念仏往生の望みを遂げ、その子孫は皆法然上人の余流を受けて浄土門に帰したということである。
 さて、この勢至丸の生国に菩提寺という山寺があった。この寺の院主|観覚得業《かんがくとくごう》という人は延暦寺に学んだ者であるが、そこでは望みが遂げ難いと思って、南都に移って、法相《ほっそう》を学んで卒業した。ひさし
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