も様々の感得夢想が現われたということも甚《はなは》だ多い。或人は法然が蓮華の中で念仏をしていると見た。或人は天童が法然を囲《めぐ》って管絃|遊戯《ゆうげ》していると見た。或者は又洛中はみんな戦争の巷《ちまた》であるのに法然の住所だけがひとり無為安全であるのを見た。或者は又嵯峨の釈迦如来が法然の道を信ぜよとお告げがあったのを見た。この類の奇瑞、信仰数うるに絶えざるものあるも無理がない。

       九

 かくして法然は、上は王公から、下は庶民に至るまで、その徳風が流溢《りゅういつ》して来た。文治四年八月十四日のこと、後白河法皇が河東押小路《かとうおしこうじ》の御所で御修経のことがあった。その時の先達として法然上人が選ばれた。
 まずその日集る処の御経衆には法皇をはじめとして、妙音院入道|相国《しょうこく》(師長公)、叡山からは良宴法印、行智律師、仙雲律師、覚兼阿闍梨、重円大徳という顔触れ、三井《みい》の園城寺《おんじょうじ》からは道顕僧都、真賢阿闍梨、玄修阿闍梨、円隆阿闍梨、円玄阿闍梨という顔触れ、それに法然上人とその門弟行賢大徳が参加するのだが、山門寺門の歴々は慣例上是非ないこと
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