直し、
「これで似たぞよ」といって勝法房に与えられた。銘のことは何とも云われなかったが、勝法房が後日また参って所望を申出でた時法然は自分の前にあった紙に、
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我本因地 以[#二]念仏心[#一] 入[#二]無生忍[#一]
今於[#二]此界[#一] 摂[#二]念仏人[#一] 帰[#二]於浄土[#一]
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十二月十一日[#地から5字上げ]源空
勝法御房
と書いて授けられたから、これを前の真影に押して敬い掲げた。これは首楞厳経《しゅりょうごんぎょう》の勢至の円通の文である。
又或人が法然の真影を写して銘を頼んだ時もこの文を書いてやったことがある。
又讃州生福寺に止まって居られた時は勢至菩薩の像を自作して、法然本地身。大勢至菩薩。為[#レ]度[#二]衆生[#一]故。顕[#二]置此道場[#一]。と記されたそうである。
法然が勢至菩薩の応現であるということはその幼名によっても思い合される処であって、自分もまた何か感応する処があったものと見える。
かく法然自身に様々の奇瑞が現われたという伝説があると同時に、法然を信ずる者の側に
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