年の四月五日に法然が月輪殿に参って数刻法談をして帰る時、兼実が崩れるように庭の上に降りて法然を礼拝し、額を地につけてやや久しくあったが、やがて起き直り、涙にむせびながら云われるには、
「上人が只今土を離れて虚空に蓮華を踏んでお歩きになり、うしろに頭光《ずこう》が現われておいでになったのを見なかったか」と。
右京権大夫入道と中納言阿闍梨|尋玄《じんげん》の二人が御前に居たけれども、それを見なかったということである。池の橋を渡る時に、頭光が現われたので、その橋を頭光の橋と称《よ》ぶことになったそうである。
又或人が法然から念珠を貰って夜昼名号を唱えていたが、或時フト竹釘に懸けて置くとその一家が照り赫《かがや》いていた。その光をただして見ると法然から貰った念珠から出た光で、その珠毎に歴々と光を放ち暗夜に星を見る如くであったという。
法然の弟子の勝法房《しょうほうぼう》というのは、画を描くことが上手であったが、或時法然の真影を描いてその銘を所望した処が、法然がそれを見て、鏡を二面左右の手にもち、水鏡を前に置いて頂《いただき》の前後を見比べていたが、ここが違うといって胡粉《ごふん》を塗って
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