画工に夢に見た処を描かせた。それが世間に流布して「夢の善導」という図になっているが、その面像は後に支那から渡った処のものに違わなかったということである。
 生年六十六歳、建久九年正月七日|別時念仏《べちじねんぶつ》の間には特に様々の異相奇瑞が現われたということが、自筆の「三昧発得記《さんまいほっとくき》」というものに見えているということである。

       八

 法然が三昧発得の後は暗夜にともし火がなくても眼から光を放って聖教を開いて読んだり室の内外を見たりした。法蓮房も眼のあたりそれを見、隆寛律師《りゅうかんりっし》などもそのことを信仰していた。或時ともし火の時分に法然が、長閑《のどか》にお経を見ているようであったから、正信房がまだ燈《あか》りも差上げなかったのに、とそっと座敷を窺うと左右の眼の隈《くま》から光を放って文の表を照して見て居られたが、その光の明かなること、燈火にも過ぎていた。余りの尊さに斯様《かよう》な内証は秘密にして置いた方がよいと抜き足して出て来たそうである。
 又或時夜更けに法然が念仏をするその声が勇猛であったから、御老体を痛わしく尊く思って正信房が若しも御
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