んねんふじゃしゃ》 是名正定之業順彼仏願故《ぜみょうしょうじょうしごうじゅんひぶつがんこ》
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という文につき当って末世の凡夫は弥陀の名号を称することによって、阿弥陀仏の願いに乗じて確かに往生を得るのだという確信に至り着いた。そこで立処《たちどころ》に余行を捨てて一向念仏に帰したのである。これぞ承安五年の春、法然四十三歳の時。
或時法然が、「往生の業には称名に過ぎた行いはありませぬ」といわれたのを師の慈眼房《じげんぼう》が、
「いやいや称名よりは観仏《かんぶつ》が勝れている」といわれた。法然は押し返して、
「称名は弥陀の本願の行でございますからそれが勝れて居ります」という。師の慈眼房はなお承知しない。
「わしが師匠良忍上人も観仏が勝れているということをいわれたのだ」といった処が、
「良忍上人も先きにお生れになったからです」と法然が云ったので、師の慈眼房はその不遜に腹を立てた、法然は押し返して、
「されば善導和尚《ぜんどうかしょう》も、上来雖説定散両門之益望仏本願意在衆生一向専称弥陀仏名《じょうらいすいせつじょうざんりょうもんしえきもうぶつほんがんいざいしゅじょ
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