の義理会解《ぎりえかい》はこちらが遙に優れた処にいる。戒律の中川少将上人、法相宗の蔵俊、師の慈眼房皆一代のその道の権威者であったけれども、後進の法然に舌を巻いたのはその故であった。俗に云えば法然程よく諸宗を見破っている者はなく、法然程公平に諸宗を判釈し得る者はなかったのである。
法然が弘法大師の十住心論を難じていた時のこと、それは源平の乱より先き嵯峨に住んでいた時分のことであった。或夜こんな夢を見たことがある。
法然が用事あって、他行《たぎょう》しているそのあとへ弘法大師から使があったという。そこで法然が心に思うには、これはわしが内々十住心論に就て難じていたことが聞えたのであるよな、と思って、そうしてやがて大師の処へ出かけて行くと、五間ばかりなる家の板敷もなく距《へだ》てもなく、ただうちには西方を塗り廻らした壁の入口も何もない処がある。大師はこの中においでなさるのだなと思ってまず外でコワヅクロイをして見るとその壁の中から「こなたへ」という声がする。その声について入って壁の内を見ると更にその戸というものがなくて壁の崩れたところのみがある。その崩れからくぐり入ると壁の際《きわ》に居られ
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