た大師と胸を合せて抱きあわれて了った。大師の顔が法然の左の肩に置かれて、そうして前々に難破することを一々|会釈《えしゃく》して居られる。なお重ねて何か云おうとするうちに夢が醒《さ》めた。それを後に考えて見ると自分の非難をしたことが皆大師のお心に叶ったものと覚える。ひしと抱き合ったということが大師のお心に叶ったと見えるのである。よくもお前は非難してくれたと、大師が思召《おぼしめ》されたから夢にもあの通り会釈されたのだ。すべて学問というものは後学恐るべしといって、学生《がくしょう》という者は学問にかけては必ずしも先達であるからということはないのである。釈迦如来の滅後五百年に五百の羅漢が集って婆沙論《ばしゃろん》を作ったのに、九百年に世親《せじん》が出でて倶舎論《ぐしゃろん》を作って先きのそれを破って了った。義の是非を論ずる場合にはあながち上古にも恐るまじきものであるぞといわれた。
 法然は元《もと》天台の真言を習っていた。これは叡山に修学の当然であるが、中川の阿闍梨|実範《じちはん》が深く法然の法器に感じて許可|灌頂《かんちょう》を授け一宗の大事を残りなく伝えられた。
 この実範という聖《
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