その乱暴を妨ぎ止める」といって争ったものだから、叡山の使者も退散して、その日は暮れた。
 その夜法蓮房、覚阿弥陀仏等月輪殿の子息である妙香院の僧正の処に参って、
「今日の騒ぎはとにかく鎮《しず》まりましたけれども、山の憤りがまだはげしゅうございますから、これは一層早く改葬をしてしまうがよろしゅうございます」
 という相談をして、その夜人静まって後、ひそかに法然の棺の石の室の蓋を開いてみると画像生けるが如く、如何《いか》にも尊い容《すがた》がその儘であったから皆々随喜の涙を流した。
 都の西の方へ法然の遺骸をかきたてて行くうちに、道路の危険を慮《おもんぱ》かって、宇津宮弥三郎入道蓮生、塩屋入道信生、千葉六郎大夫入道法阿、渋谷七郎入道道遍、頓宮兵衛入道西仏等の面々今こそ出家の身ではあるが、昔は錚々《そうそう》たる武士達が、法衣の上に兵仗を帯して、法然の遺骸を守って伴についた。それを聞いて家の子郎党達が馳せ集まったので、弟子達軍兵済々として前後をかこみ、その数一千人余り、各々涙を流し悲しみを含んで輿《こし》を守護して行った。
 嵯峨へ行って然《しか》る可《べ》き処に置き、そのありかを秘密にす
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