たから、岡の法橋ともいわれていた。醍醐にも通っていたのか醍醐の法橋ともいわれていた。この人は法然の弟子阿性房が知っていた処から法然は華厳宗の不審を尋ね問わんとして阿性房を引き連れて訪問した処が、法橋がまず無雑作《むぞうさ》に云いだすことには、
「弘法大師の十住心《じゅうじゅうしん》は華厳宗によって作ったものである。このことを御室《おむろ》に申した処それは面白い議論である。早くもう少し研究して見るがよいと仰せられたから今考えている処だが」といわれた。
 初対面のことではあったけれども、どうも腑《ふ》に落ちない。学問の習いで黙《もだ》し難く法然はいった。
「どうしてあれは華厳宗によって作ったものでございましょう。大日経《だいにちきょう》の住心品《じゅうしんぼん》の心を以て作られたものと思います。第六の他縁大乗心《たえんだいじょうしん》は法相宗の意でございます。第七の覚心不生心《かくしんふしょうしん》は三論宗でございます。第八の一道無為心《いちどうむいしん》は天台宗でございます。第九の極無自性心《ごくむじしょうしん》は華厳宗でございます。第十の秘密荘厳心《ひみつしょうごんしん》は真言宗でござ
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