に就て不審を挙げられると僧都にも返答の出来ないようなことがあった。それを法然が試みに自分独学の推義を述べてみると僧都が舌を巻いて、
「お前さんはただ人ではない。恐らくは大権化の現われでござろう。昔の論主に会ったからとてもこれ程のことはあるまいと覚える。智恵深遠なること言葉にも云い尽せない」といって一生の間毎年法然に供養をしたということである。
醍醐《だいご》に三論宗の先達で権律師《ごんりっし》寛雅という人があった。そこへ法然が訪ねて行って、自分の所存を述べて見ると、律師は総て物を云わないで聴いていたが、やがて内に立ち入って、文櫃《ふみびつ》十余合を取り出して法然の前に置き、
「ああ、わしが法門にはこれをつけてやるに足る人がない。それだのに君は既にこの法門に達している。これは自分の秘蔵の書物だが尽く君に奉る」といった。称美讃歎の程が思いやられる。進士入道阿性房《しんじにゅうどうあしょうぼう》等の人々が一緒に行ったが、このことを見聞して驚いて了った。
又|仁和寺《にんなじ》に華厳宗《けごんしゅう》の名宗で大納言|法橋慶雅《ほっきょうけいが》という僧があった。仁和寺の岡という処に住んでい
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