赦が行われた時、御沙汰があって、承元元年十二月八日勅免の宣旨が下った。その条に、
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太政官符    土佐国司
 流人藤井元彦
右正三位、行権中納言、兼右衛門|督《かみ》、藤原朝臣隆衡宣。奉[#レ]勅。件の人は。二月二十八日事につみして。かの国に配流。しかるをおもうところあるによりて。ことにめしかえさしむ。但しよろしく畿の内に居住して。洛中に往還する事なかるべし。諸国よろしく承知して、宣によりてこれをおこなえ。
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   承元元年十二月八日[#地から3字上げ]符到奉行
[#地から3字上げ]左大史小槻宿禰
[#地から3字上げ]権右中弁藤原朝臣
 勅免があったとはいえ、まだ都のうちに出入をすることは赦《ゆる》されないで、畿内のうちに住むことだけを赦されたに過ぎない。配流された地方土民たちは別れを惜しみ京都の門弟達は再会を喜ぶ。
 かくて配所を出でて、畿内に上り、摂津国押部という処に暫く逗留していたが、ここで念仏門に入った老若男女が夥《おびただ》しかった。
 左様にして都のうちへはまだ出入りを許されない間摂津国勝尾寺に暫く住んでいた。この寺の西の谷に
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