う俗名を附けられて土佐の国へ流されることになった。その宣下状に云う。
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太政官符 土佐国司
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流人藤井元彦
使|左衛門府生《さえもんのふしょう》清原武次 従二人
門部《かどべ》二人 従各一人
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右流人元彦を領送のために。くだんらの人をさして発遣くだんのごとし。国よろしく承知して。例によりてこれをおこなえ。路次の国。またよろしく食済具馬壱疋をたもうべし。
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建永二年二月二十八日[#地から3字上げ]符到奉行
[#地から3字上げ]右大史中原朝臣
[#地から3字上げ]左少弁藤原朝臣
追捕《ついぶ》の検非違使《けびいし》は、宗府生久経、領送使は左衛門の府生武次であった。法然帰依の輩がこの大事件を聞いて歎き悲しむこと例《たと》うるにものなく、門弟のうち皆々住蓮、安楽が既に死刑に処せられた上は、上人のお咎めとしては念仏興行の理由ばかりであるから、表面上一切の興行をお止めになって、内々で御教化をするようにして、上へ御宥免《ごゆうめん》を願うように致したい。御老体を波路遠くまでおいでな
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