さるようなことになってはお命の程も思われる。どうかさようにお計いをお許し下さいましといって赦免の運動を試みようとしたが法然はそれを聞かなかった。
「流されることも更に怨みとすることはない。わしももう年八十に近い。たとい皆の者と同じ都に住んでいてもこの世の別れは遠くない。たとい山海をへだつとも浄土では遠からず会えるのだ。嫌やでも人間は生きる間は生きている。惜しがっても死ぬ時には死ぬのが人の命じゃ。必ずしも処によるということはない。ましてこの念仏の興行も都ではもはや年久しいことだ。これから辺鄙《へんぴ》に赴いて、田夫野人をすすめることが年頃の本意であったが、まだいろいろ事繁くしてその本意を果すことが出来なかった。それを丁度この度の事件で果すことが出来るようになったのは有難い朝恩といわねばならぬ。人が止めようとしても法は更に止まるものではない」
といって進んで配所へ赴くことになり、その際にも丁度一人の弟子に対して一向専念の教えを述べはじめた。それを聞いてお弟子の西阿弥が驚いて上人の袖を控え、
「念仏は御停止《ごちょうじ》でございます。左様なことをおっしゃっては御身にとりて一大事でございます
前へ
次へ
全150ページ中107ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング