――こうして諸肌《もろはだ》ぬぎの、本式は諸肌なんですが、ここは片肌で御免を蒙《こうむ》りやすよ、こう尻をヒンマクる、これ壺振りの作法でござんして、つまり、こりゃ野郎のみえでするんじゃございません、さあ、この通り潔白、頭のてっぺんから、毛脛《けずね》の穴まで見通しておくんなせえ、イカサマ、インチキは卯《う》の毛ほどもございやせん、という、潔白を証拠立てるヤクザの作法の一つなんでさあ――」
と説明を加えたことによって、関守氏がまた改めて覚りました。
 大肌ぬぎになったり、尻をヒンマクったりすることを、このやからのみえであり、強がりの表示であるとのみ見ているのは誤りで、なるほど、頭のてっぺんから毛脛の穴まで見通してくれという、潔白表明の作法から来ているのかな、一挙一動でも、その出所には名分が存するものだと感じたものです。
 そこで、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は、代用品拝借の湯呑を取って、それに紙を敷き、最初の形式で置壺に構え、これも最初の形で左の掌で軽小に一振り、眼にも留まらぬ天地振分け、賽《さい》はカラリと壺に落ちたか落ちないか、その瞬間、左の手は早くも壺の縁に飛んで、壺は天地
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