の」に傍点]にするとは、何かお手のものの商売手に利用してみてやろうじゃないかという謀叛気《むほんぎ》なのであります。このお寺の納所《なっしょ》で、案内係であの小坊主を腐らせてしまうのは惜しい。惜しいと言って、なにも惜しがるほどの器量というわけではないけれど、米友でさえも、利用の道によっては、あのくらい働かして、江戸の見世物の相場を狂わしたことがある。いまさし当り何という利用法はないが、一晩考えれば必ず妙案が湧く。第一、あのお経を読んでいる咽喉がステキじゃないか、咽喉が吹切れている、あれを研《と》いで板にかければ、断じてもの[#「もの」に傍点]になる――とお角さんが鑑定しました。
 発見と、鑑定だけでは、もの[#「もの」に傍点]にするわけにはゆかぬ。人間を買い取るに第一の詮索《せんさく》は親元である。親元を説くことに成功すれば、人間の引抜きは容易《たやす》いことだ。ところで、あの小坊主の親元ということになってみると、存外|埒《らち》が明くかも知れない。というのは、いずれもあの年配の子供を寺にやるくらいのものに於て、出所のなごやかなるは極めて少ない。いずれは孤児であるとか、棄児《すてご》で
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