、わしらが見ても、街道筋にゴロゴロ行倒れが毎日のように倒れました。わしの大先生《おおせんせい》は心がけのいい人ですから、そういう時の用心がちゃあんと出来てましたから、わしらはいくら饑饉でも、ちっともひもじい思いをしたことはございませんでしたが、世間には、明日食うものがない、今日食うものがない、二三日食わない、なんていう人がザラにありました。
 天保の年は、四年と七年と二度も続いて饑饉がございましたが、七年の方が殊《こと》にひどうござんした。その年は春の初めから引続いて、季候が不順でございまして、梅雨《つゆ》から土用まで降りつづいた上に、時候がたいそう寒うございまして、日々毎日、陰気に曇ってばっかり、晴れたかと思えば曇り、曇ったかと思えば雨が降る、といったような陰気な年でございました。その時のことです、相模の国の二宮金次郎という先生が、その年の季候をたいそう心配しておいでなさいましたが、土用にさしかかると、もう空の気色がなんとなく秋めいて来て、草木に当る風あたりが、気味の悪いほどヒヤヒヤしていましたが、ある時|新茄子《しんなす》をよそから持って来てくれたものですから、その茄子を糠味噌《ぬ
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