の女性のよくするところではありません。また、こんな人おどしの仏像の存在の理由を、己《おの》れを空しうして教えを乞うてみたところで、無用無益なりとの軽蔑さえも起りました。
画像そのものは、この女性を、昏惑《こんわく》から来る反感へ導いて行くのですが、その表現の色彩だけは、それと引離して、多大の躍動と、快感とを与えずには置かないのであります。のっけに見せられた素人《しろうと》に向っては、何の色が幾つだけ、どの部分に点彩され、使用されているかというような、複合の観察は遂げられませんでしたけれども、まず打たれるのは、その赤と朱との与うる燃ゆるばかり盛んなる威力と、快感でありました。
これとても、不破の関守氏から、特に力を入れて予備知識を与えられていた点でありますけれども、そういう予備知識が全然与えられていないにしてからが、この盛んなる燃ゆる色には、いかなる素人も魅せられざるを得ないものが確かに有ると信じました。絵は千年を経ているけれども、色彩、ことに赤は、昨日|硯海《けんかい》を飛び出したほどの鮮かさである。そうして、その道の丹青家をして垂涎《すいえん》せしめる。この色を出したい、いかにし
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